ご存じのように今年(2020→2021)の渋谷カウントダウンは中止。
ようやく静かな渋谷の大晦日となるのか。
もう、もみくちゃのスクランブル交差点はカンベンです。
しかし、もしや今年も群衆が集まるなんてことは…?
いや、大丈夫。
…ですよね?
渋谷駅乗り入れの終夜運転は?
JR東日本の多数の路線、東京メトロでは2020年12月31日から翌元旦にかけて終夜運転を実施する予定(?)です。
しかし、
東京メトロ、大みそかの終夜運転中止を検討https://t.co/0nipBguRsr
— 日本経済新聞 電子版 (@nikkei) December 16, 2020
今年は終夜運転を中止する鉄道会社も少なくありません。
(東急電鉄、東武鉄道、小田急電鉄など。)
詳細は各鉄道会社のホームページで確認する必要があります。
初詣へのオールナイト回廊
青いイルミネーションの回廊は、今年は中止。
青の洞窟SHIBUYA実行委員会ホームページ(渋谷公園通り・けやき並木)
初もうでの際、原宿は渋谷から歩いてすぐの距離であり、いささか残念です。
中止となる前の渋谷カウントダウン【過去情報】
今年は渋谷カウントダウンが中止ですので、以下はあくまで過去の情報です。
年末年始の渋谷カウントダウン・ホコ天時間帯
例年、交通規制の時間帯がおおむね12月31日21時~26時頃。
交通規制については、道玄坂、文化村通り、井の頭通り、公園通りが歩行者専用道路になる例、多し。
いわゆる歩行者天国になるのみならず、自転車・バイクの走行及び移動も禁止されていました。
車両の通行禁止
12月31日21時~1月1日2時頃
歩行者のための道路開放
12月31日22時30分~1月1日1時頃
交通規制の場所は?
【過去の交通規制マップ】思いのほか車が入れないエリアは広い【渋谷駅周辺】
なぜこんなに広範囲に渡って交通規制が行われるかですが、それは渋谷駅周辺に集まる人口が10万人にも達するからです。
異常とも言える人の数がなだれ込んでいました。
2020元旦録画データ
混雑の密度も今までよりはいくらかマシだったか?
とは言え参加者は11万人。
ヒカキンや水泳の北島選手、卓球の愛ちゃんなどゲストが壇上に立ち、華やかな元旦になりました。
2019元旦録画データ
群衆のスマホ電波で映像ぶっ飛び
このユーチューブ動画、途中から映像が乱れています(一時、音声のみの状態)。
現場では、あまりに人々が集結したために電波状態が悪くなっていました。
スマホの使い過ぎです。
大勢の外国人が集まり、場所によっては日本人がほとんどいない状態に…。
モノの上に登ったり、モノを投げる人、ケガ人も出て、興奮状態。
暴動寸前だったとの声もありました。
なんだコレは?パリピの戦場
新年を占う渋谷の喧噪。
遠目には特に大きな混乱がなかったように見えて、実は毎度恒例、大騒ぎのもみくちゃ。
竹下通りで車が暴走
【原宿で車逆走 6人重傷2人軽傷】https://t.co/KldrLBMaly
午前0時15分ごろ、東京都渋谷区で車が歩行者に接触する事故があったと通報があり、少なくとも8人がけが。6人が重傷、2人が軽傷とみられる。現場はJR原宿駅近くの「竹下通り」。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2018年12月31日
深夜の元旦、0時過ぎ頃、渋谷のお膝もと原宿竹下通りでひどい事件がありました。
犯人で20代と見られる男は逃走し、事件発生からしばらく後に身柄を確保されました。
2019.4.30令和カウントダウン録画データ
2019年4月30日、雨模様。
この年は平成から令和に移るため、年末年始とは別に春のカウントダウンがありました。
元旦
↓
4月30日
↓
元旦
と、合計3回の大盛上がり。
3連続カウントダウン。
渋谷恒例、スクランブル交差点の乱勃発。
傘がひん曲がり、揉みくちゃの人も。
晴れていたらどうなっていたのか?
混沌とした新時代幕開けでした。
2018元旦のカオス動画
外国人観光客もとても多く、渋谷は六本木超えのほとんどニューヨーク。
お酒のバラ売りや、外国人相手に習字を書くパフォーマーまで現れました。
ケンカにナンパ、盗難(スリ)、痴漢などにも気をつける必要がありました。
真紅のシルクハットが乱舞
イベントステージがSHIBUYA109前に設けられ、押し寄せる群衆。
スポンサーとなった大企業は無料で赤い紙製シルクハット、サイリウムブレスレット、飲料製品などを配りました。
群衆は大挙押し寄せ、それらが全ての人に行き渡るはずもありませんでした。
もらえた人はラッキーな状況。
2017元旦最初のホコ天とは
実はこの歩行者天国、年越しの渋谷カウントダウン・イベントとしてはこの年が初でした。
2016年以前より、イベントが開催されなくてもたくさんの人が集まっていた渋谷駅前。
スクランブル交差点は、この頃からさらに輪をかけ、大騒ぎとなっていったのです。