IPOは当たらないやめた

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安定的に勝とうは間違い

相場において、安定的に勝とうとするのは間違いです。

なぜなら、それによって利幅が均されてしまうから。

平均的な勝ち幅になってしまうと言うこと。

すると、運で取れる幅が消えてしまいます。

安定的に勝とうとすればするほど、運で余分に取れる幅をみずからカットしてしまうこととなります。

そうではなくて、運を取らなければなりません。

運とは、たまたま、偶然、値幅が大きく取れること。

これを目先の安定と引き換えに、いつも小さな幅で甘んじてしまう。

その結果、トータルにおいて、大負けを喫することは免れなくなるのであります。

では、どうすれば安定的などではなく、運による大きな値幅を頂くことができるのか?

安定への依存をやめる

偶然に、たまたま出た値幅。

これを丸ごといただくこと。

すなわち、世の中は安定性などよりも、偶然性の方が遥かに強い。

その明らかな例が、宝くじの1等であります。

宝くじの1等、この同額を勤め人の給料で積み上げることは難しい。

マーケットには、

偶然性>>安定性

と言う不等式が成り立っているからです。

相場においては、この偶然性を取ることができないと、結局のところトータルの大負けにつながるのであります。

偶然性>>安定性の話

例えば、朝、同じ電車で通勤することを考えます。

電車は安定的に、同じ時刻・同じ速度・同じ幅(距離)でもって動きます。

これでおおむね遅刻することなく、通勤先に到着することができます。

安定的な収入、安定的な昇進をするため、必須の手続きの一つであります。

いわば人生全体を安定で固めること、これを目的とした行動の一つと言えます。

しかし、これをやり続ける限り、棚からぼた餅で宝くじの1等が落ちてくることはありません。

だからこそ、人は取り付かれたように、宝くじを買い続けるのです。

2000万分の1の確率を胸に。

当選確率を実感できるか

なぜ宝くじを買うのか?

それは、運による大きな収入を期待するからです。

きれいごとを言ってはなりません。

それ以外に答えなどないのであります。

これは言い換えると、安定と引き換えに、失ったモノを取り返そうとする心理です。

しかし、はっきり言いましょう。

1等は当たりやしない。

宝くじを買う前に、当選確率を精査するべしであります。

データは公表されています。

なぜ、データを調べないのか?

その答えは、調べることによって、夢と言う名のまやかしが消え去ってしまうからです。

宝くじのまやかし

なぜ安定の上に成り立つ人生において、宝くじが当たらず、にも関わらず、人はこれを求めるのか?

それは、一言で言えば、振れ幅の話であります。

最低限度の安定性を確保するがため、おいしい勝ち幅を逃がしている。

これに何となく気づいている人は多い。

このため、宝くじでそれを補填しようとするのであります。

これだけ満員電車に揉まれ、必死に耐えているのだ。

ご褒美に宝くじくらい当たってくれても良かろう、と。

しかし、この行為は気休めにさえなりません。

なぜなら、高額の賞金は確率上、まず当たらない仕組みになっているのであります。

なぜ当たりやしないのか?

当たりを増やしたら、宝くじの主催者側が破産してしまうからです。

確率を理解する

宝くじの主催者は、必ず採算が取れるよう、確率上の計算を済ませています。

たとえこちらが巨額の資金を投じ、宝くじを束で買い付けて行っても、主催者側の儲けには遥かに及びません。

及ばないどころか、全くの損失となるでしょう。

儲かるのは、どっちに転んでも向こう側です。

「夢を見る」と言うお題目の上に、こちら側が損をする、これは自明の理なのであります。

相場も同様です。

安定を得る代わりに、負ける勝負をしてはなりません。

そうではなくて、偶然性による振れ幅。

相場においてしっかり勝つためには、これをかっさらう必要があるのであります。

相場の安定サラリーマン

こんな意見も存在します。

相場も安定サラリーマンで良いじゃないか。

それで生活が成り立つし、家族を養える。

この考え方のどこが間違いなのであるか?

なぜトレードではサラリーマン生活が成り立たないのか?

その答えは、ザラバが本来ほぼ完全に近い、市場経済の資本主義から成り立っているからです。

そもそも年功序列の護送船団方式、安定サラリーマンと言う形態は、社会主義の考え方に近い。

はっきり言いましょう。

その発想は、まさに天下りの計画経済によるものなのであります。

安定性を期待し、それをデザインし、そこに乗っかる。

気づかないうちに世のリーマンは社会主義となっていたのであります。

そして、あまりにそれに慣らされ過ぎ、当たり前のこととなりました。

これがわが国の昭和のリーマン像です。

たちかわって、相場ではどうか?

ザラバの夢は存在しない

ザラバにおいては毎日、10%、20%の利幅を頂ける銘柄がわんさかと落ちています。

いわゆる、爆上げ銘柄であります。

ここに、リーマン世代の思考を適用しようとしてはなりません。

その先には、ただトータルの負けがあるのみです。

特に短期の相場においては。

マーケットから安定して利益の供給を受けたい。

そのために、0.1%ずつ勝ち幅を積み重ねよう、そんな天下りな理論を採用してはなりません。

なぜなら、この0.1%の安定と引き換えに、大きく失うものがあるからであります。

ザラバにおいては、宝くじは存在しません。

失った勝ち幅を取り戻すために、夢に賭ける?

これもナンセンスであります。

夢は実際に毎日、皆の前に転がっているのあります。

はっきり言いましょう。

これは夢とさえ呼びません。

運を逃がす行為

相場において、一見、夢のように見えるもの。

これは単なる市場の揺れ動きに過ぎないのであります。

こんなものが夢である筈がありません。

しかし、一つ言えることがあります。

ここでも運は、等しく皆に供給されている、と言うこと。

これは単なる事実であります。

この事実を前にして、相場の振れ幅を取らず、安定利益を目指してはお茶を濁す。

これが、どれだけ運を取り逃がす行為であるか?

相場においては、この爆上がり銘柄の値幅の全てを取ること、これが目標なのであります。

トレーダーの理想はそこにあります。

マーケットの至上主義

理想的トレード形態は、マーケットに、ごくありきたりに、普通に落ちていると言えます。

これが当方の思う相場観です。

近頃では、新しいなんちゃら主義などと耳当たりの良いことを言って、これをいじくろうとする筋もいるとか・いないとか。

新しいでも何でもない、それは社会主義そのものであります。

マーケットは古来より存在していたのであります。

そこにどうやって手を加え、年貢を集めるか?

焦点を年貢に集める筋、すなわち上級国民は常に存在してきました。

いわゆる、お殿様の一派であります。

当方に言わせれば、現代において、年貢の貢は愚策の愚。

江戸時代に戻ってはならないと言うことであります。

サッカーのワールドカップを見てると、そういうの忘れてしまうんだよね。

トレードの落ち着きどころ

相場の話に戻しますと、トレードの要諦とは、すなわち値上がりの全てを取ることであります。

これはあくまで理想に過ぎないので、もっと現実的な落ち着きどころと言うのは、別にあります。

感覚的に言うのであれば、20%値上がりする銘柄があるのなら、そのうちの3分の1も取れれば十分。

これが偶然性をもぎ取るギリギリのライン。

そして、相場の聖杯そのものであります。

しかし、これを取ろうとして大きくやられてしまう場合があります。

これがいわゆる、相場の初心者であります。

マーケットにおいて、運の振れ幅を取ろうとする。

これは市場経済において、普通のことであります。

しかし、思惑と逆に大きく損失を被ってしまう、と言う訳です。

これを防ぐための方法とは何か?

手法その1

運の振れ幅をまるごと取ろうとして、それより遥かに大きい損失を出してしまう。

これを防ぐための一つの手法、それは、いきなり目的を大きな利幅に置いてはならない、と言うことです。

そうではなくて、常に同値で降りられるポイントを探し、降り続ける。

同値?

それなら、ついでにここで1円抜きをすれば良い?

とんでもありません。

1円抜きではなく、大きな振れ幅を模索しなければなりません。

その目的のために、同値降りをするのであります。

同値を多用しつつ、大きな勝ち幅が取れる方法を求める、そんな手法。

当方、これにより、スキャルピングはかなぐり捨てました。

スキャが目的ならほぼ負ける、それを思い知ったのです。

そんなんではなく、大きな、夢の値幅をもぎ取りに行く。

そして、大穴狙いのトレードで最終的に勝つ。

そういうことであります。

これが当方のザラバ即応法の内容です。

結論としては、

安定目的のスキャは退場し、大勝ち狙いのトレードが生き残る。

なぜならザラバは資本主義だから。

今やこれが当方、相場に参加する際の根底にある考え方となっています。


さて、本日の結果は、スイング負け。

朝っぱらから地団太踏みました。

同値で降りるんじゃなかったのかよ。

もう知らんわ。

なんだかわからないアレな株、パンパンに買い持ってしまいました。

明日、爆損の可能性もあるよ。

含み益なしで持ち越し。