S高張り付きが買えれば、そこそこの安心感。
しかし、そこにいたる道のりはなかなかにして困難。
損切りあり、狼狽売りあり。
仮に思惑通りに張り付いてくれたとしても、足元をさらわれる可能性、常にあり。
一言で言えば、うかつに手を出せない方法。
使い古され尽くしたとも言える、リスク満載の手法。
それがS高張り付けを買う方法です。
その心やいかに。
S高買いが有効だった時代
2003年~2004年頃の某匿名掲示板。
相場に関するスレッドにおいては、ストップ高買いの有効性を囃す者がいました。
そして、その手法によって億った、などと言うツワモノも。
嘘かホントか?
まことしやかに語られていた手法であります。
この手法が、果たして今では使い古され尽くし、優位性なし。
とするならば、その理由は一体なぜなのか?
母集団の少なさ
当時、ストップ高を狙って買って行く者は、確かに今より遥かに少なかった、そう言えます。
そもそも、ネット証券が始まったばかりの時代。
ネットで株を発注する者自体の数が、今より圧倒的に少なかったのであります。
すなわち、競争率が低かった。
であるからして、ほんの少し他者より優位であるというだけで、利益が出しやすかったのです。
しかし、それだけではありません。
天井の低さ
当時の値幅制限は、今よりも狭い場合が多かったのであります。
2010年初頭、東証の新システム、アローヘッドが導入されました。
これを契機に、多くの価格帯において値幅制限が拡大されたことをご存じでしょうか。
それ以前は、今と比べてストップ高の制限、すなわち天井までの距離が近かったのであります。
このため、何かとS高をつける傾向にありました。
すなわち、今と比べればS高銘柄が選び放題。
その上、いったん張り付いてしまうとエラいことになる、そんな恐怖感。
なぜなら、制限値幅の拡大措置と言うのがありませんでした。
連続ストップ高の記録
例えば、某銘柄のストップ高連続記録。
2009年、とある小型株がストップ高18日連続と言う記録を打ち出しました。
今であれば、連続ストップ高が2日続いた時点で、一定条件のもとに制限値幅の拡大措置が取られます。
これにより、ストップ張り付けが連続する機会は減っています。
とっ捕まった空売り勢が逃げられなくなる、そんな恐怖は、今より昔のほうが断然に強かったのです。
ストップ値幅が狭い上に、連続ストップも起こりやすい。
これでは、空売り勢がヒヨって当然です。
さらに言いますと、PTSで逃げる方法も不可能でした。
PTSで逃げられなかった
日本でPTSが始まったのは2007年であり、それ以前は存在していませんでした。
このため、ストップ高で張り付いた銘柄を、PTS市場で売買することはできなかったのです。
すなわち、とっ捕まった空売りの主がPTS市場で逃げる、これは不可能。
すなわち、現在のストップ高はあくまでかりそめのものでしかなくなったのであります。
15時に逃げられなくとも、しばらく待てば、逃げられなくはない。
たぶんPTSで買い戻せば何とかなるんじゃないか、と言う空売り筋の思い。
翌日に大きなギャップアップを期待する筋としては、いささかつらいお話ではあります。
ストップ高狙いでやられた例
当方、ストップ高張り付け銘柄を買うことができ、ほっと一息。
にも関わらず、大引け前30秒で張り付きが崩れて大損。
そんな経験もあります。
今では、PTSで逃げられないのはストップ高を買った筋。
なんてことも、ないことはないのであります。
つまり、このストップ高狙いの方法、大昔に比べ、ラクではありませんよ、と言うことです。
では、なぜ、そんな状況にもかかわらず、ストップ高を狙うのか?
その答えは、当方、長らく悩んだ末の結論。
相場は上昇株に乗るしかない、と言うことであります。
結局のところ、それしかない。
特に、全体相場が上がり始めたら、この一手であります。
相場が上がっているのに下げている株を買うほど、効率の悪いものはありません。
なぜそう言えるのか?
上昇株を買うしかない
「当たり屋につけ」
「当たり屋にちょうちん」
この相場格言をご存じでしょうか。
いささか物騒な格言であります。
当たり屋とは、相場において、予想が当たっている者を指します。
予想を当てることは難しい、しかし、当たり屋につくことは易しい。
当たり屋にちょうちん買いを入れることで、流れに乗ろう、この魂胆。
ちょうちん買いとは、誰かの買いに追随して買いを入れることです。
なぜちょうちん買いが発生するのか?
流れに乗るためです。
流れに逆らったところでロクな目に合わない、相場とはそんなものであります。
グイグイを買う
したがって、上がっている株を買う。
結論としてはそういう事になります。
しかし、これが何ともやりにくい。
上がった株は、すでに高くなっています。
高値づかみの心理障壁。
流れに乗ると言うことは、ストレスに耐えると言うこと。
買いにくいものを買えて初めて利益が出る。
まことに相場は皮肉なもの。
この心理障壁をどう乗り越えれば良いのか。
すなわち、ちょうちん踏み上げ相場の模索であります。
踏み上げ相場を買う
ちょうちん買いが入り、空売りの筋が踏み上げる。
相場名物であります。
空売りの名手は、こう言います。
相場には勝てない、と。
強情を張ってカネにモノを言わせ、相場を抑え込もうとした筋は、たいてい大きくやられます。
担がれたなら、すぐ切らなければならない。
これが空売りの筋の鉄則となっているのであります。
なぜそう言えるのか?
世の中は買いより空売りの者の方が遥かに少ないからです。
空売りとは、株を借りて来てから売る仕組み。
借りて来られない限りは売れないので、自動的に少数派とならざるを得ない。
そんな手筈となっているのであります。
手法の手の内
空売りは多勢に無勢、との結論であります。
多勢に無勢とは、多人数に対し少人数では勝ち目がないと言うことです。
すなわち、相場上昇時には長いモノに巻かれるべし。
これで長らくやっています。
しかし、残念ながら、それで全てが上手くいくとは限りません。
いくらか有利となる程度。
なぜなら、注意すべきは、流れに乗ったばかりに、濁流の煽りを受け、ポシャる現象。
流れの中のカオスは、泳ぎの名手でさえ、溺れさせ得るパワーを持ちます。
流れに乗ってポシャらない
まず、この動画を見てください。
全国大会連続出場、全国2位の泳ぎ手。
そもそも、この川の流れは、濁流と言った類いのものではありません。
この泳ぎ手は、恐怖を感じたと言っています。
一見何でもない川において、ひとたび入り込んだら、完ぺきに御することは難しい。
流れとは、そういう類いのものです。
表面だけを見ただけでは、その深みのカオスはわからないのであります。
相場で言えば、一撃退場もあるよ、と。
そんな思いで、当方、流れに飛び込む。
すなわち、ストップ高買いに走る、と言う訳であります。
では、なぜそこまでして、危険を冒すのか?
その答えは、チャンスを拾うためです。
チャンスだけ拾えばよし
相場とはチャンスだけ拾えばよい、そんな類いのものであります。
チャンスでもないのに、利益を出そうとするのが間違っているのです。
常に少しずつ利益を出そう、分配を頂こう。
そんな考えは平和ボケの産物であります。
金塊は、どこかに固まって埋まっているもの。
しかるに相場においては、それを取りに行かねばなりません。
いわゆるゴールドラッシュであります。
ゴールドラッシュに先陣を切って切り込む。
そして、チャンスがなければ静かに待つ。
比率の問題
チャンスを狙うとは1:9の1を拾いに行くことです。
にもかかわらず、9の方で取ろうとするから無理が出るのです。
9割はチャンスでも何でもなく、ありふれた日常。
たいした利益にはなりません。
チャンスの比率とは、そのような内訳になっています。
もちろん、この1:9には個人差があり、ある人は2:8、またある人は3:7かも知れません。
大事なのは狙い目と、それ以外のウェイトの差です。
バランスには必ず偏りがあるのであるからして。
偏りを取りに行くこと。
これが相場の狙い目であり、手法です。
では、その比率の偏りは、どこに存在するのか?
それがストポ銘柄ですよ、と言うことになります。
偶然性の強み
偏りとは、偶然性が支配しているものです。
それは、あるとき、たまたまモノとモノがぶつかることから生じます。
すると、一つの偶然性が、玉突きで連鎖していきます。
これが宇宙空間において、塵が均等にばらつかず、固まって分布するゆえんであります。
そして、その塵が星を作る原因となります。
相場も同様。
チャンスがどこかに固まっている。
だからこそ大儲けをする人と大損をする人が出るのです。
これがマーケットの当然な成り行きであります。
マーケットの制限
マーケットは本来、差が開いて行くばかりのものであります。
空間とは本来、星ができたりブラックホールができたりします。
この自然状態に対し、
「星ができたり、ブラックホールができたらおかしいじゃないか。
不公平だ。」
そんなことを言う人はいないでしょう。
ところが、そこに何かと制限をかけ、ストップしようと言う発想があります。
値幅制限をもうけ、ストップ高・ストップ安を作る。
サーキットブレーカーなどと呼ばれる取引停止措置を発動する。
増担保規制、即金規制を行う。
どんどんいろいろな措置を講ずる。
講じまくればよい。
これが、いわゆる新しい資本主義の、もととなる考え方です。
ちなみに米国市場においては、ストップ高安などの値幅制限はありません。
差金決済の制限もありません(現物株で制限なしに何度も取引ができる)。
かの国では、おじさん(またはおばさん)の鶴の一声にマーケットが従う、そんな精神に抵抗があるのであります。
おじさん許すまじ
なぜ米国では、市場の規制が不評なのであるか。
その答えは、おじさんを信頼していない、と言うことであります。
規制を発動するのは、マーケットの神ではありません。
普通のおじさんに過ぎない。
おじさんの言うことを、なぜ聞かなければならないのか。
リスクを負い取引をしているのに、そのことについてなぜ他人が口出しをしてくるのか?
自分のお尻は自分でふく、と言うか、相場においてはそうせざるを得ない。
これを皆が承知しているのであります。
当方、この考え方には賛成であります。
この国はこの点において、おじさんに対し、不可思議に従順であります。
だまって親に従う子供のように。
当方は思います。
違う、そうじゃない。
自分のお父ちゃんであっても、マジで口出しは許すまじ。
なぜなら、自分の方がマーケットに詳しいのであるからして。
そもそも、ストップ高などと言う制限を作ったのはあなたですよ?
そのストップ高を買いに行ったら、今度は増し担保規制かよ。
規制の次にはまた新たな規制。
ルールの名のもとに制限をかけ、偶然発生したチャンスに手出しできないようにするおじさん。
おじさんの言い分
おじさんは自分たちの正当性を主張します。
いわく、これこそ、新しい資本主義である。
反対意見については検討したい。
このような回答であります。
自然状態のマーケットが生み出すチャンスの偏り、これらは彼らの規制によって、摘み取られます。
そして、最後に来たるべきものが来る。
増税であります。
チャンスだけ待ち構えておけば良い、そんな素直なマーケットは、いつまで経っても来やしない。
へんちくりんに曲がったマーケットが脈々と続くのであります。
はっきり言いましょう。
この国ではプレーヤーよりも審判員の方が位は高く、数も多く、鉄壁の組織を擁しており、彼らが牛耳る。
プレーヤーは彼らの顔色をうかがい、お達しを待ち、飼いならされかねない。
野生の狼は絶滅。
草を食いつくし、やむなく木の根をかじる鹿ばかりが増えるのであります。
果実や木の実は消滅。
行きつく先はハゲ山に他ならない。
ハゲ山は木の根の保水力を失い、土砂崩れを起こすでしょう。
これが失われた30年の後の、食えない相場です。
うらめしや。
さて、本日の結果は、デイ・スイング負け。
寄りで切っておけばほとんど同値で降りられてものを。
当方、損切りせずに耐え、ナンピン買いのデイを発動。
妙に初心者時代のトレードが復活。
オワタ。
まーた傷を広げ。
タヒ。
こんなことで2月、3月とイバラの道であります。
仕方がないのでヤバそうな株まーた買い持ち。
まじヤバい。